はじめに
みなさんはどんな時に嬉しくなり、どんな時に悲しくなるでしょうか。
やはり人間である以上、悲しさを感じずに生きていくことは出来ません。
しかし自分を良く理解し、感情の予測が出来れば、嬉しさを倍増させることも悲しさを半減させることも出来るのではないでしょうか?
今回は嬉しさを倍増、悲しさを半減させる方法を私自身を例にして考えていきたいと思います。
自分を分析する
過去を振り返ってみよう!
自分が楽しかった事、悲しかったことを書き出してみましょう。
私の嬉しかったこと
① 出来なかったことが出来るようになったとき
② 大好きな作品に巡り合えたとき
私の悲しかったこと
① 人に批判されたとき
② 自分が人より劣っていると感じた時
嬉しかったことを増やしていくためには
前項で書き出した嬉しかったことを、これから先増やしていくためにはどうすればいいかを考察していきます。
① 出来るようになるということの、ハードルを低くする
本当に小さなことで良いと思います。
例えば楽器演奏ならば、あるフレーズを自分が弾ける限界のスピードから
ほんの少しだけ早く弾けるようになったとしましょう。
この時、出来ないことが出来るようになったという認識があれば喜びを感じることが出来ます。
しかし普段何も考えていない時は、それが出来るようになったことの喜びに気づいていないことが多いです。
自分が出来るようになったときに喜びを感じるというように理解していれば、どんなに小さなことでも出来るようになれば喜びに変えられるようになります。
② 既に知っている作品をもっと楽しむことを考える
新しいことを探し続けるのも悪いとは思いませんが、今自分が知っている作品でもっと魅力に気づけるはずのものがどれだけあるでしょうか?
情報社会ですから、すぐに新しく楽しいものが出来てユーザーも作品をとっかけひっかえで楽しんでいきます。
そうなったとき、ユーザー自身が作品を楽しむための力が不足してしまうのではないでしょうか。
自分がいままで見てきた、読んできた、聴いてきた作品の中でもっと楽しめるかもしれないと思うものをピックアップしてみましょう。
そしてその作品をどうやったらもっと楽しめるどうかに頭を使うことで、
楽しめむための脳を鍛えることが出来ます。
そうすることで、よりいっそう大好きな作品に巡り合うことが出来、喜びを感じることが出来るでしょう。
例えばの私の場合、以下の記事で音楽をもっと楽しむための方法書いています。
きになる方はぜひ一度読んでみてください。
悲しいことを少なくさせるには
前項で書き出した悲しかったことを、これから先減らしていくためにはどうすればいいかを考察していきます。
①批判を受けている場所から逃げ出す
これは私の個人的な意見ですが、自分がもし今批判されて辛いという場所にいるならば、私はすぐにその場所から逃げます。
動物は敵に出会ったときには、逃げますよね。
それと同じです。
自分より強い敵と戦っても結局食われるだけです。
しかし、人間は理性があるため逃げちゃいけないという固定概念にとらわれてしまうことがあります。
病気になってしまっては遅いのです。
良いか悪いかは自分でしか判断出来ません。
私は常に後悔しない選択をしたいと思ってます。
②優劣は他人と比べた場合の評価であって、自分の単体の評価ではない。
例えば、プロの演奏家と素人の演奏では素人の方が能力的に劣っていると感じるのが普通ですよね。
実際に聴いてみれば分かる通り、プロの方がうまいと感じるのが当たり前です。
しかし、優劣や上手い下手というのはどういう心理からくるのでしょうか。
音楽の演奏でいえば聴き心地の良さから来るのかもしれませんね。
では聴き心地が悪い演奏は劣っているのでしょうか。
演奏する側からすれば自分の出す音が気持ち悪いのは辛いでしょう。
でも、それは聴き心地の良い音を知っているからではないですか?
もし聴き心地の良い音を知らない人が、自分の音を気持ち悪いと感じるでしょうか?
これは聴く側同じです。
うまい演奏を知っているから下手な演奏が気持ち悪く感じるのです。
ということは、あなたの演奏単体だけで見れば劣っているわけでも気持ち悪いものではないのです。
これを認識しているかしていないかで、優劣に関することについての感じ方はだいぶ変わり、劣等感を感じることが少なくなるでしょう。
よく周りと比べない方がいいというフレーズが使われますが、上記を知っていると少し実感が沸きやすいかもしれません。
さいごに
ここまで読んでいただいた方には、自分の感じる喜怒哀楽というのはある程度コントロール出来る可能性があることをお分かりいただけたと思います。
しかし、完璧にコントロールするというのはやはり難しいです。
私は常に自分がどうすれば心理的に楽になれるかということを考えていますが、その度に結局辛いことからは避けられないんだろうなという諦めに似たものも感じています。
それでも、「自分の記事がもしかしたら読んでくださった方の助けになるかもしれない」ということを祈りながらこれからも記事を書いていこうと思ってます。
貴重な時間をこの長文に割いてくださってありがとうございました。