フランケンシュタインは怪物ではないが・・・
みなさんは「フランケンシュタイン」という小説をご存じだろうか。
もしかすると、「名前は聞いたことあるけど・・・」とか「あの映画のこと?」という印象が強いかもしれない。
簡単に説明しておくと、
「フランケンシュタイン」は最も古いSFと言われ、人間の本質である「闇と苦悩」を怪物で表現した歴史的名作。
著者はメアリーシェリーという女性作家。
この小説においてよく勘違いされているのが、怪物=フランケンシュタインではないということだ。
フランケンシュタインというのは、ヴィクター・フランケンシュタインという主人公(人間)の名前である。
しかし、実際のところ、その勘違いが全て間違いだと否定出来るとは限らないのだ。
それはまぁ、おいおい説明していくとしよう。
フランケンシュタインの本質とは
フランケンシュタインのたった一つの過ち
小さいころに「フランケンシュタイン」の映像を観て、その人間とはかけ離れた怪物に、恐怖感を抱いたなんて人もいるだろう。
しかし、私は見た目の恐ろしさがこの小説の本質ではないと思う。
恐ろしい怪物は、人間の心を具現化したものだ。
誰しも、自分は醜い、誰も自分のことを分かってくれない、理由もなくいじめられるという経験が一度はあるだろう。
そんなありえるだろうことを、極限まで怪物として具現化することで、よりリアルに、人間の心、情緒を表現することに特化することが出来たのだと思う。
実際に読むと分かるが、この小説にはかなりショッキングな出来事が何度も起こる。
それは、全てヴィクター・フランケンシュタインという主人公のたった一つの過ちにより引き起こされる。
私がこの小説を読んで強く思ったのは、一つの過ちは自分の身を滅ぼすほど大きなものになる可能性があるということ。
そしてそれは意図せず起こってしまうこともあるということ。
ヴィクター・フランケンシュタインが生み出した怪物は、彼にとってのたった一つの過ちだったのだと思う。
怪物の変化は、まるで人間が大人になっていく過程
そして、もう一つ、この小説のキモとなるのは怪物の変化である。
無垢からの、憎悪。
まるで、人間の赤ちゃんから、大人へなっていく過程のようだ。
どんなに心が綺麗であろうと、見た目が醜いというだけで人間は恐怖と憎悪を覚える。
これも、怪物だから起こりえたこととは、正直思わない。
人間同士でも平気で起こり得ることだからだ。
この小説は、怪物を人間に置き換えても成立してしまうのが恐ろしいのである。
何度も言うが、怪物を通して人間の闇を描くことこそこの小説の本質だ。
もちろん、怪物の並外れた運動能力や凶暴性は人間にはないだろう。
しかし、憎悪、たった一つだけで、相手を地獄の底に突き落とすことが人間には出来る。
この小説が描かれた背景
この本が匿名で刊行されたのは、1818年である。
書いたのはは当時18歳の少女だった。
結局のところ、この憎悪と怒りに満ちた小説を18歳の少女が書いたとは思わなかったのだろう。
なんとか匿名という形で刊行することが出来たのである。
しかし、メアリーシェリーはそれまでに、詩人との駆け落ち、出産からの子供の死、実家からの絶縁を経験し、人間というもの闇を存分にその身に受けたといっていい。
そんな、彼女が魂を落とし込んだのがこの小説、「フランケンシュタイン」だった。
大変な思いをすれば、素晴らしいものが書けるわけではない、しかし、人並み外れた経験は文章に多分な影響をもたらすだろう。
私は、メアリーシェリー=ヴィクターフランケンシュタイン=怪物という側面が強いのではないかと考えている。
一つの過ちで悲しみにくれるフランケンシュタインと、復讐に生きる怪物という、二面性を彼女自身が秘めていたのではないだろうか。
壮絶な出来事の後に書かれた小説のため、自分を投影しているという側面が強く出てもおかしくはないのである。
「フランケンシュタイン」 p.268
呪われし者、おれの創造主よ。おれはなぜ、生き存えたのだ?おまえが一時の気まぐれで与えた命の炎を、おれはなぜ、あの瞬間に消してしまわなかったのか?
駆け落ちをきっかけに、実家から絶縁を受けた彼女が、実家を恨み呪ったことは想像するに難くない。
この文章では、怪物を通してその感情を吐き出しているように思えた。
そして、怪物が受けて憎悪する批判は、肌の色などによる差別批判が日常茶飯事であると感じた彼女が、それを間接的に描くために用いたことなのではないだろうか。
自分とは無関係なところで受ける批判というのは、あってはならないことだが、この世には溢れている。
憎しみ恨みからは何も生まれないという言葉があるが、それは本当の苦しみを味わったことのない者の戯言だろう。
私は、世に溢れる偽善的な励ましなど、本当に苦しんでいる人からすれば何の助けにもならないと思っている。
本当の苦しみは、本当の苦しみでしか緩和出来ないからだ。
この小説は、恐ろしいものであるが、それと同時に苦しい人に捧げる共感性で溢れているものだと思う。
耳障りの良い言葉をたくさん内に溜め込んで苦しくなってしまうのなら、「フランケンシュタイン」を読んだ方がよっぽど得るものがあるだろう。
苦しいときに必要なのは、勇気でも慰めでも励ましでもない、共感だ。
この時代に生きるものとして、100年以上前の小説がここまで胸をうつのは、ある意味名作としての許容といえる。
時代錯誤なんて感じないくらい読者の胸をうつこの作品はこれからも読み継がれていくだろう。
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