人を責めないという信念 -「カラマーゾフの兄弟1」 – ドストエフスキー

 

ハードル高めな読書に苦戦・・・

こんにちは!じゅんです。

本日、ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟1」(光文社古典新訳文庫)を読み終えました。

数か月前に、ブックオフで本書を100円で購入してから、しばらく本棚に収まっていたものです。

今日は何を読もうかなぁと本棚を眺めていたら、「カラマーゾフの兄弟1」が俺を読め読め!と叫んできたので、思わず手に取って読んでしまいました。

嘘だけど。(⇐これ、わかる人いるかな~)

それにしても、こんなに読むのに苦労した本は久しぶりでした。

200ページぐらいまで、物語の世界に入り込めず、だましだまし読んでいたのですが、だんだんとこの本の深みが分かってくるようになり、最後辺りはスラスラと読めた気がします。

読後の感想は、主人公のアリョーシャがいい子すぎるやろ・・・ということ(小並)

私は、アリョーシャの周りを魅了する力にとても関心を抱きました。

アリョーシャの魅力

p.45

子どもの頃、そして青年時代も、彼は感情を表に出すことがほとんどなく、そもそも口数じたいが少なかった。

この文を読んで、アリョーシャは人間嫌いなのかと思いましたが、実はそんなことはないのです。

p.46

「自分は人々を裁くようなことはしたくない、だれかを断罪するようなことは引き受けたくないし、何があっても人を責めたりはしない」とでもいったところが、この青年にはあった

アリョーシャは、例え父親がどうしようもない遊び人だったとしても、それを断罪することはありませんでした。

また、周りの人間が原因で自分に災難が降りかかることがあっても、断罪するどころか、協力的に手助けを行うのです。

私は、彼がなぜそのような考えを持ち続けられるのか、不思議でありませんでした。

私自身、このように考えて生きていたいと思ったことは何度もあります。

しかし、その度にこの世の中の負の部分を見ることで、その思いを砕かれてきました。

そのため、アリョーシャの信念は本当にすごいと思いました。

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まとめ

しかし、「カラマーゾフの兄弟1」の面白いところは、冒頭部分で彼は決して偉大な人物ではないと明記しているところです。

私にとって、「カラマーゾフの兄弟1」の中でのアリョーシャはとても偉大な人物に思えたのですが、もしかすると、続巻で何か大きな変化があるかもしれません。

とても苦労したため、続巻は間を空けようと思っていますが、いずれ読もうと思っています。

本日の一番の収穫は、読むのが大変な本も、最後まで読めば楽しさが分かるということですね。

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